グリーグ♪春に寄す [ピアノ曲]
北欧、ノルウェーの作曲家・グリーグ。
ノルウェーと日本では「春」のイメージが違うのかもしれません。
少なくとも全く同じではないでしょう。
グリーグのピアノの小品「春に寄す」は、僕の感覚で言えば、あまり春を感じません。
花が咲き、暖かく、活動的な「春」というイメージとは違います。
どちらかと言うと、雪の中から新しい命が芽吹いてくるという感じです。
空気がどこまでも美しく、透明で、冬が終わりを告げているという気がするのです。
それはともかく、ピアノの曲として純粋に耳を傾けると、
繊細で美しく、自然の美しさを感じます。
どうしてかは分からないけど、惹きつけられる曲です。
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メンデルスゾーン♪春の歌 [声楽曲]
スカルラッティ♪すみれ [声楽曲]
スカルラッティ♪すみれ
スカルラッティはバロック期の作曲家です。
あまりメジャーな作曲家とは言えませんが、イタリアの音楽一家に生まれ、その生涯に数多くの作品を残しています。
その多くは、鍵盤作品で、555曲のソナタは有名です。
そうでありながら、スカルラッティの作品の中で一番有名なのは、恐らく歌曲の『すみれ』ではないでしょうか。
もともと「すみれ」はオペラの中のアリアでした。
今ではオペラそのものが上演されることはほとんどありませんが、「すみれ」だけは歌曲としてよく歌われます。
歌い手も聴く人も好きなようです。
ミミもこの曲は大のお気に入りです。
どうしてなのかは分からないですけど、好きだそうです。
確かに優しく、そしてやすらぐ曲ですよね。
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モーツァルトのなんと私は不幸なことか KV147 [声楽曲]
短い歌曲です。
タイトルからも分かるように、ちょっと暗めの曲調になっています。
そうはいっても、中島みゆき みたいな暗さではないですよ。
内容としては、恋するも者の苦しい心のうちを歌ったものです。
モーツァルトが16歳のときの作品なので、自分と重なる心境があったのかもしれません。
まあこう言っても恐らく間違いはないでしょうが、誰もが恋をするものです。
そして、恋をすれば、そこには間違いなく辛さ、悲しさ、辛さ、情けなさといった負の感情がつきまとうものです。
特に10代の恋はそういう傾向にありますよね。
幸福と不幸の振幅の幅がかなり大きいですよね。
思春期の恋の不幸は、もちろん恋でなくても、成長過程として必要なものです。
いやいや、ご本人はともかく、離れてみていると、その「不幸」さえ幸福ではないのでしょうか。
モーツァルトの「なんと私は不幸なことか」はしんみりと心に染みわたります。
でも、決して、人の心を暗く落ち込ませる曲ではありません。
それに、1分少々の短い曲です。
不幸と言うのは、長く続かないものだと思いたいです。
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ヴィバルディ♪四季 より 春 [ヴァイオリン曲]
4月。春になりましたね。
気温も上がってきましたし、陽も長くなりました。
春です。
春といえば、まっさきにこの曲を思い出します。
ヴィバルディの四季の春。
多くの方がご存知ではないでしょうか。
ヴィバルディはイタリアのバロック期の作曲家。
この曲の正式名称は「和声と創意への試み」といいます。
何のことだか、よく判りませんね?
分かりますか?
パパねこは学がないので分かりません。
ただ、良い曲だょにゃーん、と思うだけです。
基本的にはバイオリン協奏曲で、春、夏、秋、冬から成り立っていて、それぞれが3楽章形式になっています。
バイオリン協奏曲集と言えば、分かりやすいですね。
タイトル自体は作曲者自身がつけたものではないようです。
「春」聴いていると、本当に春らしい音楽だと思えてきます。
鳥も鳴いています。多分、バイオリン。
春のぽかぽかのお日様にあたっているように、
この音楽を聴いていても、春の気配に包まれているような気がしますね。
モーツァルトの別れの歌 [声楽曲]
1787年はモーツァルトにとって「歌曲の年」と言っても良いほど、多くの歌曲を作曲した一年でした。
この「別れの曲」もその1787年に作曲されました。
別れ、というのは恋人との別れ、の意味です。
非常に情感のこもった、美しい歌曲です。
パパねこはドイツ語なんてまるで分からないので、歌声の情感と伴奏ピアノの美しくもちょびっと悲しい響きを聴いて、ただしんみりとするだけです。
それでも、変化に富んだ自然な旋律の流れがあるので、聴いていてドキッとしてしまいます。息を飲むというのでしょうか、いや、それだけではなく、息を詰めるということもあります。
それにしても、どうしてモーツァルトの歌曲って心に染みるのでしょう。
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モーツァルトの子どもの遊びKV598 [声楽曲]
自由で澄み渡った美しい歌曲である。
この歌曲は、モーツァルトの死の直前に書かれている。
それも影響しているのかもしれない。
パパねこの感想を言えば、こういう風にありたいなと思わせる曲だ。
自由と楽しさが、自然の流れの中に溢れている。
そういう人生を送りたいですよね。
子どもの多くはそういうものなのかも知れない。
うん、子どもの本来の姿が人間のあるべき姿なのかもしれない。
だけど、親たちは、そして世の中は、「教育」「しつけ」と称して、子どもたちにさまざまなことを教えていく。その結果、子どもが本来持っているものが失われていく。
パパねこはなにもそれが悪いとか改めるべきことだとか言っているわけではない。
子どもを教育し、しつけないことには、子どもだって生きていけないし、世の中だって成り立ってはいかないのだから。
それでもやはり、「子どもの心」は失わないようにしたいと思う。
それは“子ども”もそうだし、“大人”だってそうだ。
難しいことではあるけれど。
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モーツァルトのラウラに寄せる夕べの想い [声楽曲]
モーツァルトにとって歌曲の年とも呼べる1787年に作曲された歌曲。
だいたいモーツァルトという人は、カラッと明るく楽しめる音楽が多いのですが、
この「ラウラに寄せる夕べの想い」は秋の夕暮れを思わせるセンチメンタルな感情が満ち溢れている。
聴いていてとてもしんみりとしてしまう。
情感豊かで、繊細で、ゆったりとしている曲である。
心の中が次第に、だが確実に、澄み渡るような気分になってくる。
もちろんパパねこにはドイツ語の歌詞は分からないが、
詩の内容はともかく、モーツァルトの作った音楽だけでそんな思いがしてしまうのだ。
それにしても不思議だ。「ラウラに寄せる夕べの想い」を作曲した同じ日に「クローエに」という歌曲も作っているのだが、こちらはいかにもモーツァルトらしい明るさに満ちているのだから。
まあ、それはともかくとして、情感を抑えながらも、いや、抑えているからこそ、心に染みる穏やかなやすらぎを感じます。
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モーツァルトの春 [声楽曲]
3月、春を感じますね。
梅が咲き始め、次は桜。そうすると、もう春爛漫です。
モーツァルトの歌曲『春』。
この曲は、モーツァルトの代表的な歌曲に数えられる、というわけではないでしょうが、
素朴な味わいが感じられます。
「春」あるいは「春のはじめに」というタイトルがついていますが、
日本的に言えば、桜の花が満開の春、というよりは、梅が咲き鶯が鳴く春といったかんじでしょうか。
そうした穏やかで落ち着いた、そして押しつけがましくない慈愛を感じられる一曲です。
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グルックのシャコンヌ [室内楽]
久しぶりの更新になりました。
心新たに更新していくつもりですので、よろしくお付き合いのほど、お願いします。
グルックという作曲家はなじみがないかも知れません。
あまりメジャーではないですよね。
この人、1714年にボヘミア生まれました。
1714年といえばバッハの子どもにあたるぐらいです。
つまり、バロック期の作曲家になります。
このシャコンヌは強烈な個性を感じられるわけでもないし、
一度聴けばそのメロディーが耳から離れないという曲でもありません。
だけど、すうーっと身体に入ってくるというか、聴いていてものすごぉぉぉく馴染みの良い音楽です。
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